miyaziyuuki9の玩具箱

主に特撮の事とか

ウルトラマンの神秘性 2

ウルトラマンの絶対的な部分が崩れてしまうストーリーは主に実相寺監督&佐々木脚本で描かれる。完全に子供の夢として実現してしまった元は単なる落書きのガヴァドンの回。ある国の宇宙飛行士が事故により見棄てられてしまい怪獣となって復讐しに来るジャミラの回など。

ガヴァドンに完全に感情移入してしまった子供達はあろうことかガヴァドンと戦うウルトラマンに「帰ってくれ!」と言う始末。ウルトラマンガヴァドンを倒す事なく『宇宙の星』とし子供達に七夕の夜に会えると言う。しかし当の子供達は雨が降ったらどうするんだ? と夜の星座になって映るウルトラマンに問いかける。

その答えをウルトラマンは答える事なく番組は終了する。結局答えを出さぬまま終わるとはある意味リアルだがウルトラマンの絶対性に疑問符が付く決定的な場面だ。近年の作品ならスパークドールズにするとかになるのだろうか。ガヴァドンは寝てばかりの怪獣だったがそのイビキが原因で退治される事に。しかしガヴァドンは子供の落書きから生まれた。その回においての科学特捜隊ウルトラマンよりも遥かに上の『夢』として現れた。そしてその夢を遥かな宇宙の遠くに追いやったのは、ウルトラマン……

ジャミラの回は、言わずもがな。文に起こすより実際にみてもらった方が早いのだがこの回のウルトラマンの役割はジャミラという『怪獣』を退場させるための舞台装置のような役割である。ジャミラを悲しき存在とするか、あるいは無関係の人々を脅かす悪とするかは見る人それぞれだが、ジャミラの回『故郷は地球』の最大のミソはジャミラの正体が人間であるという事である。その元は人間のジャミラにトドメを刺したのは宇宙人のウルトラマンジャミラの例が特別と割り切っていてもウルトラマンの存在、そして作品のフォーマットそのものに揺さぶりをかける回だった。

ウルトラマンという作品そのものに揺さぶりをかけるのは主に実相寺&佐々木コンビの作品。というのがウルトラマンファンの通例なのだが、ウルトラマンの世界観構築に一番貢献した金城哲夫氏も中々のエピソードをぶっ混んでくる。

まぼろしの雪山』では豪雪地の飯田山付近スキー上で村人達がいくら遭難しても必ず一人だけ無事生還する少女雪ん子がその特異性から村人に迫害されるという中々に強烈なエピソードだった。
この回で雪ん子はイデ隊員に科学特捜隊を怪獣を倒してばかりいる怖い人達と言い放つシーンがある。このシーン、雪ん子は村人と仲良くしたいと言ってはいたが一方で怪獣側に立ってしまってもいるので人間社会の仲間入りを出来ない事をカミングアウトしているようにも聞こえる。(ちなみにアラシ隊員も怪獣という存在を人間社会の仲間入りが出来ない、攻撃もやむを得なしというスタンスを見せている。イデは雪ん子をみて複雑な心境になっていたが)

雪ん子が迫害される理由に更に拍車をかけたのが怪獣ウーの存在だった。雪ん子を残して死んでしまった母親の魂が転生したのがウーなのだが迫害が頂点に達した時ウーはついに暴れだしてしまう。それが雪ん子を更に追い込んでしまうとは気付かずに。

そのウーと戦うウルトラマンだが、その結末は雪ん子の暴れるのを止めてくれという呼び声に答えるように幻となって消えていく。その姿はまさに唖然とした様子でスペシウム光線も発射出来ず消えていくウーを見るウルトラマン。そして雪ん子も雪の中に埋もれて画面からフェードアウトしていく。
ウルトラマンには他の星の理に干渉できないという決まりがあるようだが、その設定を拾ってもウルトラマンは雪ん子を救うことは出来なかった。

ウルトラマンの絶対的な姿、万能性、そこから来る神秘性は確実に薄れていく。そして作品終盤、それは『敗北』という形で待ち受けていた……